毎日怒ってしまうことを悩まれているお母さんへ
いい写真でしょ。
これは伊丹空港に降りてくる飛行機が近くで見れる場所なんです。
迫力満点です。
でも、この場所に行くには
「ここ道?!」
というような
草がボウボウに生えた場所を
自転車で走らないといけないのです。
とても心配性の私は
電動自転車の前に息子を乗せながら、
ガタガタ道を運転するのが怖くて、
「無事に目的地まで連れて行けるのだろうか?」と
不安で不安でたまらなく、
帰りたいと思っていました。
でも、
「おおらかなお母さんになりたい」という
理想が私にはあって、
必死で平気な振りして自転車を漕いでました。
せっかく主人が行こうと言ってくれている。
それを
「不安だから行きたくない」
なんて言えない。
そんな思いもありました。
でも、不安な気持ちはあって、
引き返せるなら引き返したい。
「この道で合ってるの??」と
強い口調で
主人に聞いたりしながら、
必死に主人についていきました。
でも、無事に到着して、
どでかい飛行機を嬉しそうに見ている息子を見て、
「来て良かった」と思いました。
そんな思い出の写真です。
先日、
「毎日、子どもを叱ってしまう。
それが辛い」
とおっしゃっているお母さんと
少しお話しました。
ほんとはもっとゆっくり喋りたかったけど、お互いに仕事があり、
ゆっくり話せなくて。
同じ道を歩いてきた私にとって、
そのお母さんのお話は他人事には思えませんでした。
でも、今の私は
息子に対して一度も怒らない日もあるのです。
(1日中、小言を言ってしまう時もあります。)
10歳という年齢もあるのかもしれませんが、
私は子育てに対して
楽になりましたし、
息子に対して
自分がものすごく落ち込むほど
怒ってしまうということが
ほとんどなくなりました。
(ゼロではありませんよ。まだまだ自分の対応が良かったのか悩みますし、後悔もしますよ)
そんな私が
何かお伝え出来ることがあるかもしれないと思い、
この記事を書くことにしました。
こちらのメモ。
私が岸見一郎さんのアドラー心理学を学び出したころに書いていたノートの一部です。
息子が5歳のころでした。
岸見一郎さんは
「人に上下関係はなく、
全ての人間関係は横の関係である」
とおっしゃっていました。
親子であっても
「横並びの人間関係」なのです。
私たち親は
「子どものため」と思って
ついつい
口出し、手出しをしてしまいます。
もちろん、
それは幸せになってほしいからです。
でも、気をつけないといけないのは
子どもたちにも
理由があり、思考があり、感情が
あるのです。
そのことをすっかりと忘れ、
親が正しいと思い込み、
手出し、口出しする。
そして、
「親の言うことは聞きなさい」
と思っている。
それは、
先に人生を生きてきた私の言うことの方が
正しい。
その通りにしていたら
失敗しないし、
幸せになれる。
と信じているからなのです。
だからこそ、
息子が小さな頃から
私はよく叱っていたし、怒っていました。
「こうしなさい」とか
「それはしてはいけない」とか
「謝りなさい」とかとか。
私や世間の価値観を
息子に押し付けていました。
でも。
毎日、そんなことをしていたら
息子はいつも私に
怒られ、
叱られ、
やることなすこと認めてもらえない。
辛かっただろうなと思います。
実際にどんどんと関係がこじれていっているような感覚もありました。
今でこそ、
息子は私に反抗もしますし、
違うことは違うと言います。
ただ、何ヶ月か前、
久しぶりにブチ切れたんです、私。
同時進行の仕事に追われ、
家事に追われていたことは覚えていますが、
何で息子を怒鳴ったかは覚えていません。
そんな、しょーもない覚えてもいない事で
私はブチ切れたのです。
でも、
その時、
明らかに息子は大きな声を出す私を見て、
恐怖を感じている表情をしました。
息子は私に
カバンを投げつけられたことがあります。
そして、
胸ぐらを掴まれたこともあります。
それはもう5年位前の話で、
ここ5年はそんなことはしていませんが。
でも、息子は身体で覚えているのでしょう。
自分を守ってくれるはずの母親が
恐怖の対象になるなんて、
こんな可哀想なことがあるのでしょうか。
息子が5歳の頃、
私がしてる育児は
もう限界でした。
息子に手を上げたくない。
こんなに大切な息子を傷つけたくない。
このままでは私が家族を壊してしまう。
仕事に行く日は特に私も焦り、
幼稚園に行きたがらない息子に
何度も怒鳴りつけては、
罪悪感に苛まれ、
職場について同僚の顔を見た途端に
泣いてしまったこともありました。
大切な息子を傷つけているのが
自分であり、
なんとひどい母親なんだど思っているのに、
怒ってしまう。
「私がいない方が息子は幸せなのではないか?」
そう思う日ばかりでした。
そんな時です。
友人から
岸見一郎先生のお話を聞きました。
「課題の分離」
初めて聞いた言葉でした。
友人が例え話をしてくれました。
「宿題しなさい」とは本来、
言ってはいけないそうです。
宿題は子どもの課題。
やっていこうが、
忘れようが
その子の課題なのです。
宿題を忘れて、
学校で注意されるのも
子どもが受けるべき結果であり、
そうならないように、
親が
「宿題しなさい」と言う。
それを続けていると、
言われないとしない子になる。
みたいな。
ついつい親は
失敗しないように、
怒られないように
子どもに色々と
手出し、口出しをしてしまう。
そのことが、
子どもの自立を妨げていると。
私はずっと子どもの自立を妨げるような関わりをしてきたと思いました。
息子が苦労しないように。
幸せな人生になるように。
そう願い、
私は息子を
礼儀正しい子になるように
好き嫌いがない子になるように
時間を守れる子になるように
人に譲ることが出来る子になるように
順番を守れる子になるように
人に迷惑かけない子になるように、、、、。
沢山の「こうなりますように」があって、
そうなるように
叱り、怒り、怒鳴っていたのです。
もう一度、さっきのメモの写真です。
岸見先生が
今からでもやり直せる。
いつからでもやり直せる。
そうおっしゃっていました。
そして、
「その生き方を変えていくには、
今までの半分の時間が必要だ」
とおっしゃってました。
メモに書いてある
「2年半かけてやり直そう」
これは私の決意だったのです。
ここから私は
息子と友達がケンカになっても
ケガしないようにだけ気をつけつつ、
口出ししないようにしました。
最初は口出ししないよう、
意識して我慢していました。
もちろん出来ない時もありました。
でも、
放っておくと
子どもたち同士でちゃんと仲直りするんですよね。
一緒に遊べる方が楽しいなら、
譲り合いも出来るのです。
噂好きの幼稚園のお母さんたちの目を気にして、
今までは必死で息子を注意していましたが、
私が大切にしたいのは息子です。
自分が信じるやり方でやろう。
だんだんと
その噂好きのお母さん達とも距離を取っていきました。
息子のためにママ友付き合いを大事にしないといけないと思っていましたが、
息子にはちゃんと、
自分で友達を作る力があります。
それを信じようと思いました。
「子どもを信じる」
これも岸見先生から教えてもらいました。
そんなふうに少しずつではありますが、
息子を怒鳴りつけたりすることが減り、
息子との関係も良くなっていきました。
「もう、手はあげない」
そう、覚悟したのも大きかったです。
私は手をあげずに息子を言い聞かせることなんて出来ないと思っていましたが、
失敗しても、
何度でも挑戦しようと決めました。
すぐになんて治らない。
今までやってきた時間の半分はかかる。
でも、必ず良くなる。
諦めないと自分に言い聞かせました。
「叱ることは
即効性はあるけど、有効性はない」
今、私は身をもってそう思います。
宿題に関しては絶対ではないですが、
ほとんど言いません。
(私の機嫌がイマイチな時はチラッと言ってしまいますが)
息子は朝起きてやったり、
早めに学校に行ってやったりしてるみたいです。
もちろん、忘れることも。
字をきれいに書いてほしいけど(きちんと書くと上手なんです)、
本当にきちんと書きません。
字が汚いせいで損することあるのに、、、っと何度も言いましたし、
実際にテストで点数を引かれたりもしています。
でも、今のところ
それは気にならないようです。
コロコロコミックの懸賞の葉書を出す時は、
恐ろしく丁寧に字を書きます。
そういう息子が私は大好きなのです。
忘れものはクラスで一番だそうです。
それでも、
過去4回とも担任の先生には恵まれ、
どの担任の先生のことも
「いい先生よ」と友人たちの前で話しているのを聞くと、
忘れ物一番を全く気にすることなく、
先生に大切にしてもらっている息子を
誇らしくも思います。
岸見先生にゲームをずっとしてる息子のことを相談したことがあります。
岸見先生には
「ずっとしてる?
学校にも行って、ご飯も食べてるでしょう。」と言われました。
そうなんです。
ずっとなんてしてません。
学校にも行ってくれてるし、
ご飯も食べてくれている。
出来ていることは当たり前と思い、
自分が気に入らないことばかりに目がいってしまう。
今、息子は健康で、
学校に行き、
勉強し、
友人と遊ぶ。
嫌いな給食も先生と交渉しながら食べている。
それだけで私には100点です。
先日、とうとう息子に私がサンタであることを話すことになりました。
(Amazonを息子が受け取ってしまうという
痛恨のミスをしてしまったため)
息子が6歳の時です。
「一つだけ教えてほしいことがある」と
車の中で真剣に聞かれたことがありました。
「サンタはちゃーちゃん(私のこと)なのか?」
あまりに急だったので、
「私ではない」と答えました。
(主人でもあるので)
あれから4年。
息子はサンタを信じていると思っていました。
そして、
先日の出来事です。
Amazonの箱を開けたがる息子。
それは息子がトイザらスで見つけてから欲しがっていた
ゲームソフト。(こちら人気商品でトイザらスは品切れ、Amazonで最後の一点というのを
やや高めに購入)
Amazonさんゲームソフトと書くのをやめて欲しかった。
ピンときた息子は譲りません。
私は覚悟しました。
そして、
息子に私と主人がサンタであることを話しました。
やってしまったと落ち込む私に
息子はゲラゲラと笑い、
「そうかぁ。やっぱりそうやったんかぁ」と。
いつから知っていたか?
と聞くと、
やはり6歳の頃から疑ってはいたそうです。
(ドラえもんでそれらしき話があったみたいで)
いくらサンタでも
世界中の子のリクエストに応えるのは無理だろうと思ったと。
でも、7歳のクリスマスプレゼントで
「やっぱりサンタはいる」
と思ったそうです。
それは、
私達夫婦がギリギリまで息子の欲しいものを調査しきれずに、
唯一、息子が欲しいと思ったものと
違うものをプレゼントした年になったのです。
その時に息子は
「俺のこと大好きなちゃーちゃんだったら
欲しいものを絶対にくれるから、
違うものがプレゼントやったから
サンタはいると思った」
と言ったのです。
私、5年前は消えてなくなりたい、、、なんて思ったりもしてましたが、
ずーっと怒ってただけでも
なかったようです。
息子の中では怒っていた私もいるけど、
笑ってたり、楽しそうな私もいるわけで。
だから、
今、悩まれているお母さん。
絶対に怒ってるだけじゃないです。
笑ってる時もあるはずです。
ご自身の出来なかったことばかりに注目せず、
出来ていることに注目してあげてください。
きっとそれは
息子さんとの関わりでも
変化をもたらしてくれると思います。
息子さん、
一生懸命なお母さんのこと
大好きですよ。
そして、今からでも大丈夫です。
いつからでも始められます。
将来のことを考えて
色々と言いたくもなりますが、
残念ながら
先のことなんてわからないです。
ほんとに
思っていた未来と
今は全然ちがいますのでね。
うちの息子、
ちゃーんと立派な10歳になってます。
私は取り返しのつかないことしたと
後悔はしています。
やり直せるなら
もう一度、あの幼い息子を思い切り
甘えさせてあげたい。
この仕事をしていて、
可愛い赤ちゃんたちに出会うたびに
そう思います。
でも、
その後悔を胸に
今の私に出来ることを淡々とやっていくしかないと思っています。
息子さん、確か5歳とおっしゃってましたよね?
そして、
「最近、怒ってしまう」
とおっしゃってましたよね?
私の場合は
最近ではなく、
息子が生まれてから5歳までです。
私なんかより、
超スピードで
息子さんとの関係が変わるのではないでしょうか。
もし、
怒ってしまっても
あまりご自身を責めないようにしてくださいね。
自分を責めない。
それも訓練ですし、
自分を責めることをしなくなったら、
不思議と周りを責めることも少なくなるというのが
私の感じていることです。
長くなってしまいましたが、
いつかお茶でもいきましょうね!
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